太平洋戦争は、1941年(昭和16年)12月8日から始まり、3年8ヶ月に及び1945年(昭和20年)8月15日に終戦となり、わが国は連合国の占領下に置かれます。
連合国といっても実際はアメリカの統治下にあり、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本の占領政策を実施いたします。
そのGHQ日本占領連合国軍最高司令官がダグラス・マッカーサー元帥です。
[厚木基地に降り立つマッカーサー]
https://www.aflo.com/ja/editorial-images/search?package_id=40263215

終戦直後の8月30日、マッカーサーは専用機「バターン号」で厚木に到着しました。日本側の出迎えはすべて断り、新聞記者10名だけの列席を認めます。
マッカーサーの動作は常に記者を意識したものでした。口にコーンパイプをくわえ、タラップに踏み出すと、そこでしばし立ち止まり、日本国を睥睨(へいげい)するように周囲をゆっくりと見渡してから、タラップを降り日本の地を踏みました。
その約1ヶ月後の9月27日、昭和天皇(当時44歳)とマッカーサー(当時65歳)との会見が駐日アメリカ大使館で行われました。
[昭和天皇・マッカーサー会見](Wikipediaより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%83%BB%E3%

マッカーサーの『回顧録』(1964年)には、
[昭和天皇は「私は、国民が戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、おたずねした」と発言したとあり、それを聞いたマッカーサーは、天皇が自らに帰すべきではない責任をも引き受けようとする勇気と誠実な態度に「骨の髄まで」感動し、「日本の最上の紳士」であると敬服した。]
と記されています。
この写真を見るかぎりにおいては、天皇陛下が正装して直立不動で立っておられるのに対し、マッカーサーは略軍服の上のボタンを外し、両手を腰に当て、足を開き気味のリラックスな態度で写っています。
まさに、この写真こそ、日本国民がマッカーサーを新たに〝慈父と崇め〟出直す覚悟を決める一葉となりました。
このGHQによる占領統治のさなか、1950年(昭和25年)6月に朝鮮戦争が勃発します。
日露戦争後、朝鮮半島は「韓国併合ニ関スル条約」に基づき、日本の統治下にありました。
第二次世界大戦終結によって朝鮮半島は独立を果たしますが、その直後、自由主義陣営の旗頭アメリカのトルーマン大統領は、ソ連軍に朝鮮半島全体が掌握されることを恐れ、ソ連に対し朝鮮半島の南北分割占領を提案しました。
ソ連のスターリンはこの提案を受け入れ、朝鮮半島の北緯38度線を境に北部をソ連軍「北朝鮮」、南部をアメリカ軍「韓国」に分割占領することとなりました。
このように戦後は、アメリカ合衆国を中心とする資本主義陣営(西側)と、ソ連を中心とする社会主義陣営(東側)の二つの勢力が、世界的規模で緊張状態を生み出しました。この対立構造は「冷たい戦争(冷戦)」と呼ばれました。
そして1950年(昭和25年)6月、北朝鮮が突如、均衡を破り38度線を越えて韓国に侵略してきたのです。
アメリカは、国連安全保障理事会に北朝鮮の行為を「侵略」と認めさせ、国連軍を編成します。
そして、マッカーサーが国連軍最高司令官に任命されます。
そのマッカーサーは、国連軍を率いて朝鮮半島に降り立ったとき、啞然、すぐさまそれまでの日本の立場を理解しました。
ソ連を後ろ盾とした北朝鮮が38度線を越え韓国を侵略してくる実態をまざまざと見て…
日露戦争以来、ソ連(ロシア)の南下を脅威としていた日本の立場を心の底から理解しました。
マッカーサーは、共産勢力の南下を防ぐには朝鮮半島を死守するしかないと考えました。ところがアメリカのトルーマン大統領は、NATO(北大西洋条約機構)加盟国と中ソとの対立を恐れ、また核戦争に発展することを懸念し、北緯38度線で〝痛み分け〟にする戦術を主張します。
トルーマンとマッカーサーは真っ向から対立します。
そして1951年(昭和26年)4月、トルーマンはマッカーサーを解任します。
解任されたマッカーサーはアメリカに帰国します。
米国内のマッカーサー人気は絶大でした。愛機「バターン号」がサンフランシスコに到着した際は50万人以上が出迎え、ワシントン、ニューヨーク、シカゴ、ミルウォーキーの各地で行われたパレードには総勢数百万人が集まったと言われています。
マッカーサーは翌月、アメリカ上院議会(軍事外交委員会)に召喚を受けます。
その議場でマッカーサーは、
「この前の戦争に日本が突入したのは、主として自衛のためだった」
という趣旨の演説を行いました。
東京裁判(極東国際軍事裁判)のご本尊とも言うべきマッカーサーが、日本の立場を認める証言をしたのです。
マッカーサーの発言に議場がどよめきました。
マッカーサーの証言通りならば、日本は侵略ではなく自衛のために戦争をしたことになる ――
これはアメリカ側が主張する「侵略国家、日本を打ち負かした正義の戦争」という太平洋戦争の前提から覆すもので、東京裁判の正当性をも失ってしまう証言です。
では、なぜマッカーサーはこのような証言をしたのでしょうか。
つづく